ヴァシュロンコンスタンタン

ジュネーブの時計産業が発展のただ中にあった1755年9月17日、24歳の時計師が見習い職人を雇い入れた。その時計師の名、ジャン=マルク・ヴァシュロン。今に至る260年のヴァシュロン・コンスタンタンの歴史がこの日、始まったのだ。

同年にジャン=マルクが製作した懐中時計が、残っている。銀製のケースに収めたムーブメントは、脱進機の周囲を美しいアラベスク装飾の彫刻が彩っている。優れた美観は、ヴァシュロン・コンスタンタンにとって、創業時からの伝統なのである。

その優れた技術と美意識は、息子アブラハムと、孫のジャック・バルテルミーが受け継いだ。またジャック・バルテルミーは、フランスに販路を拓き、次いでイタリアで成功を収める。そしてこのイタリアで、彼は運命的な人と出会った。

別ブランドの時計を売り込むために来ていたフランソワ・コンスタンタンである。そのビジネスセンスに惚れ込んだジャック・バルテルミーは、1819年にフランソワを共同経営者に招き入れたのだ。ヴァシュロン・コンスタンタンの名は、この時生まれた。

フランソワのビジネス手腕により、販路は北米や南米にまで広がった。彼の進言で、まだ時計ブランドでは珍しかった宝飾の製作もスタートしている。

いくつもの工作機械を考案。これにより、製造効率とクォリティとが一気に高まった。

こうして国際的なブランドとなったヴァシュロン・コンスタンタンの高い生産力は、1839年に雇い入れた時計師ジョルジュ=オーギュスト・レショーによってもたらされた。彼はムーブメントの地板上にブリッジをセンタリングし、穴を開ける機械パンタグラフをはじめ、

そして1875年、手狭になったそれまでのアトリエに代わる新社屋が、レマン湖に注ぐローヌ川の中州ケ・ド・リルに完成。この建物は当時の姿のまま、現在もブティックと遺産管理室などに使われ、一度も途切れずジュネーブで時計製作を続けるメゾンの歴史を象徴する。