パテック・フィリップ

パテック・フィリップ

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パテックフィリップ

1839年スイスでアントニ・パテックとフランチシェック・チャペックの二人により創業された時計メーカーで元々は『パテック・チャペック社』という名前でした。当時は腕時計ではなく懐中時計をメインで取り扱いしておりました。

(※ちなみにアントニ・パテックはジュネーブ市民となった後にアントワーヌ・パテックというフランス風な名前に改名します。)

1844年アントニ・パテックが自社製品の懐中時計をパリの博覧会に出品するためにパリに行った先で、ジャン・アドリアン・フィリップと出会います。ジャン・アンドリアン・フィリップはフランスで活躍する時計師で、

彼はリュウズを使用した巻き上げ・時刻合わせを搭載した機構を開発した人です。当時はゼンマイ巻き上げとそれの専用のカギが必要な時計というのが主流でしたが、リュウズで巻き上げるという画期的な機構に感動し、アントニ・パテックとジャン・アドリアン・フィリップは意気投合します。

1845年にジャン・アドリアン・フィリップが入社し、会社名を『パテック社』に社名変更。そして同年、パテックフィリップ初のミニッツリピーターを制作します。さらにリュウズ巻き上げ・時刻合わせ式時計の技術の特許を取得します。

そして同年、創業者のフランチシェック・チャペックが退社しました。

1851年に『パテックフィリップ社』に社名変更。ロンドン万博博覧会に懐中時計を出品し、ヴィクトリア女王がリューズ巻き上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントを購入します。この懐中時計は世界初の鍵がない時計として多くの著名人に賞賛され、パテックフィリップの知名度は爆発的に高くなりました。

1967年にはローマ教皇ピウス9世が18金懐中クォーターリピーターを購入します。クォーターリピーターとは15分ごとに音を鳴らしてくれる機能でミニッツリピーターの下位互換のような機構です。当時は時計を見ずに音で知らせてくれる画期的な機能として話題となりました。

1868年にハンガリーのコスコヴィッチ伯爵夫人のためにパテックフィリップ社初の腕時計を開発します。今では腕時計のイメージが強いパテックフィリップですが、時計を懐中時計から腕時計に切り替えるまでに凡そ30年もかかっているのは驚きです。そしてこの頃から腕時計の制作を積極的に行い、パテックフィリップの業績は急成長します。

しかし1877年に創業者のアントニ・パテックが亡くなり、経営はジャン・フィリップに移ります。経営が移っても業績は変わらずにピョートル・チャイコフスキー(ロシア作曲家)がルイ15世スタイルの懐中クォーターリピーターを購入したり、著名人には長年愛されておりました。

翌年の1878年には宝飾品や銀製品を取り扱っているティファニーが自社ムーブメント工場をパテックフィリップに売却し、さらに事業は大きくなります。この売却の影響によりこの年代のムーブメントはパテックフィリップ製のものとティファニー製のものが流通しております。

経営は順調でしたが、ジャン・フィリップは高齢のため1891年に、息子のジョセフ・エミール・フィリップに経営を譲り、そして1894年にジョセフ・フィリップは亡くなってしまいます。この経営を受け継いだジョセフ・エミール・フィリップも1907年に亡くなってしまい、

その息子のアドリアン・フィリップに経営が移りました。

経営権を引き継いだ翌年には現在ジュネーブにある本社ビルが完成し、1915年にはアルベルト・アインシュタインが懐中時計を購入しました。経営は順調に思えていたのですが、1914年から1918年にかけて行われた第一次世界大戦の影響による世界恐慌が訪れ、パテックフィリップの経営は悪化してしまったのです。

そこで手を差し伸べたのが文字盤製造業者のジャン・スターンとシャルル・スターンの兄弟です。1929年この二人がパテックフィリップの資本に参加したことにより徐々に売り上げは戻ってきます。1932年にはこの兄弟により会社が買収され、アドリアン・フィリップは経営から去り、ジャン・フィスターが社長に就任。

(※ちなみに、現在に至るまでスターン一族による経営が行われております。)