気象観測の歴史について学びましょう

毎年6月1日が気象記念日というのはご存知でしょうか。1875年(明治8年)、日本最初の気象台である東京気象台(現在の気象庁)が赤坂葵町設置され、気象と地震の観測が始まったのが、この年の6月1日だったのです。我が国において、日々のお天気や地震などについて本格的に観測されるようになったのは、この時以来と言えます。それより前、1872年(明治5年)に日本初の気象観測所として、北海道函館に気候測量所(函館海洋気象台の前身)が開設されていますので、科学的な観測は、明治維新の動乱がまだ完全に収まっていないころから始まっていたのです。明治5年は、それまでの太陰暦から太陽暦に変わった年でもあり、それまで日本人が感覚として持っていた四季の捉え方が、大きく変化した境目ともなりました。

急速に進歩向上していった気象観測

東京に気象台が開設されて以降、気象観測は年を追うごとに、技術の向上を伴いながら本格化していきます。1884年(明治17年)には、日本で最初の天気予報が発表されました。毎日3回の、全国の天気予報です。同じ年、全国に起こった地震の震度観測も開始されました。大正時代に入り、1924年(大正13年)に、初めて天気図が国民新聞に掲載されました。翌年、大正14年には、ラジオによる天気予報も始まりました。こうして、一般の人々にとっても天気予報が身近なものになり、次第に気象情報は、日々の生活になくてはならないものになって行きます。1932年(昭和7年)には、富士山頂観測所設置され、通年観測が開始されました。過酷な環境下で観測を続ける人々の努力や、技術の向上によって、台風の接近など、より精度の高い観測が可能になって行ったのです。

知らされなくなってしまった気象情報

昭和時代、気象観測技術は劇的に向上し、すべての日本人に、明治・大正のころよりもさらに精度の高い天気予報が、毎日届けられるはずでした。ところが、ある期間、世間一般の人々から、天気予報が奪われてしまったことがあったのです。それは1941年(昭和16年)太平洋戦争が始まってから。気象観測結果そのものが、軍事機密として扱われるようになってしまったのです。それは、戦争が終わった年、昭和20年8月21日に気象管制が解除されるまで続きました。天気予報を奪われてしまったために、戦時中に来襲したいくつかの台風への備えができずに亡くなったかたも多かったそうです。戦争は、兵器以外のものでも人の命を奪ってしまうものとも言えます。毎日、気象情報に接しながら、雨の予報に傘の準備を考えるような、平和な世が続いて欲しいですね。